![コウイチ](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E73CE32-46F4-45F7-8C60-DE5E2A74F758_0520030537.png)
脱サラして、「フリーランス」になりました!
コウイチ(@Koichi)です。相方・コロンを紹介します!
![コロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E91E7DE-DF59-41D3-BE09-80BC499E0956_0520025859.png)
コロンは食欲旺盛で、走ることが大好きです。
ブログを見に来ていただいている方々に、コウイチの自己紹介したいと思います。
簡単な経歴
川崎市宮前区にて誕生(秋田と群馬のハーフ)
公立の小学校(ヤンキー少なめ)
公立の中学校(ヤンキー多め)
チャラい私立高校(甲子園10回出場、ベスト4も2回)
工学部情報システム工学科(理系行っとけば、就活有利だべ!)
ファッションデザイナーのプロ養成校(軍隊並みの厳しさ)
アパレル販売員(全国2位の売上を達成)
ファッションデザイナー(メンズ服)
2019年5月からフリーランスとなる
![コウイチ](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E73CE32-46F4-45F7-8C60-DE5E2A74F758_0520030537.png)
好奇心旺盛な幼少期
(写真はイメージ。コウイチは日本人です。)
「お母さん、なんで、おちんちんは堅くなるときがあるの?」
(いきなり下ネタかよ!!!)
こんなこと聞く子供だった。笑
車の中の親戚一同、絶妙な雰囲気を生み出したことを思い出す。。。
保育園では、「先生、昨日の東京ラブストーリー観た?」
という、おませなガキんちょでした。
(「かーんち!」って鈴木保奈美が織田裕二に言うアレです。)
「何のために生まれてきたんだろう?」
小学校3年生のとき、疑問に思ったのでシンペイ君(勉強できる同級生)に聞いてみました。
(病んでいた訳じゃないですよ?笑)
「楽しければ良いんじゃない?」
(そうなのかなぁ・・・)
この「勉強」は大人になって役立つの?
そんなことばかり考えていました。
![コウイチ](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E73CE32-46F4-45F7-8C60-DE5E2A74F758_0520030537.png)
野球が「生きがい」になってきた中学時代
小学校3年生から始めた野球が開花し出す。
これは両親の遺伝子の力。父・母が俊足だったので、生まれながら俊足。
1年生から2番バッターのレギュラーを獲得し、保育園からやっていた書道を辞める。
夜中も走ったり、素振りしたり、両手両足に重りをつけたまま授業受けたり。笑
ガチでプロ野球選手を目指してました。
![コロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E91E7DE-DF59-41D3-BE09-80BC499E0956_0520025859.png)
甲子園10回出場の高校へ進学
二度とやりたくない高校野球。
結論から言うと、井の中の蛙でした。
中学校の野球部(川崎市ベスト16)で強豪校行くのは危険です。笑
「甲子園行ったの?」とよく聞かれますが
「行っていません!!!」
「入学直前の春」と「卒業直前の春」に行くというミラクルな谷間世代です。笑
(つまり上2学年と下2学年は行きました。)
話すと、とてつもなく長くなるので、記事をいくつか用意しました。
もし、興味があれば読んで欲しいです。
野球で食べていくことは出来ないと悟り、
高校で「9年続いた野球人生」に幕を下ろした。
![コロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E91E7DE-DF59-41D3-BE09-80BC499E0956_0520025859.png)
高校野球を終えて。
「高校球児のイメージありますか?」
「おしゃれ!!」
って言う人ほぼいませんよね。
環境的にオシャレになる要素がないので、
「制服とユニホームとジャージと私。」
高校野球が終わって、多くの球児が思うこと。
「遊びたい!モテたい!彼女欲しい!」
髪を伸ばし、バイクの免許合宿へ行き、服を買い出す!(Right-onだけど)
この「服を買い出す」が、のちの人生を大きく変えていく。
![コロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E91E7DE-DF59-41D3-BE09-80BC499E0956_0520025859.png)
「勘違いから生まれた、新たな目標」大学時代
興味が野球→ファッションへ
当時は、ストリート系ファッション全盛期。
従兄弟が「ナンバーナイン」「アンダーカバー」が好きだったこともあり、
ファッション雑誌を読み漁り、ブランド品を買い出す。
(近所のRight onしか行ってなかったくせに。)
毎週、原宿・代官山・中目黒に通う。
そんなとき、運命的な出会い。
「すみません、いま雑誌の撮影しているんですけど・・・」
「えっ、自分?なんで?」
原宿のGAP前なので、写真を撮られている間、
「コイツ誰だよ」的な
通行人の目線が、痛かった。。。
運命のいたずらか、この日以降
原宿行く度、3回続けてスナップ写真を撮られ、こう思ったのです。
(単純)
「母さん、大学辞めて専門学校行くわ!」
(工学部の勉強全然分からんし。興味も無い。)
「大学卒業して、まだ興味があったら行きなさい!勿体ない!」
この頃は、反対を振り切ってやるほどの覚悟も決意もなく
結局、大学を卒業する。
初めて3年以上付き合った。
大学1年~4年にかけて、初めてこんなに長く人と付き合いました。
それまでは割とサバサバ恋愛をしてきたので、とても印象に残っています。
隣のバイト先で、3つ下の高校1年生だった子です。
付き合ってから、高校でイジメに遇い「リストカット」をするようになり
・・・色々ありました。
これも話すと長くなるので、もし「需要があれば」またの機会に。
![怒りコロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/4BDC96FD-BDBE-47C6-A1FE-894496C50980_0520025828.png)
膨大な課題量!!高校野球よりツライ!?デザイナー養成校時代
「そもそも、デザイナーとかどうやってなるんだよ~。」と
専門学校3つ。見学や体験した末・・・
「卒業生の90%以上はデザイナーかパタンナー就職!」
とても怪しい…笑
実績がある学校を発見。
大学卒業後、デザイナープロ養成校へ。
- 1年生はレディースのみ
- 2年生はメンズ専攻
- 3年生は卒業コレクションと就活
服飾史、生地の特性、色彩学、工場見学、Photoshop、illustratorなども学びつつ、
メインは、デザインのプレゼンテーションとパターン(製図)と縫製。
簡単に言うと、「自分で書いた絵を実際に作る」という点。
パターンや縫製が時間かかる人だと、授業のスピードについて行けません。。。
自分もピーク時は「21時に寝て、24時起きる。」(3時間睡眠ww)
3日に1回は6時間睡眠。
クラスメイトは次々と体調不良で来なくなりました。
10人ほど男子いたクラスなのに、1人ぼっちの日とかあったほど。笑
卒業する頃には、半分くらいの人がいなくなっていた。。。
しかも、卒業にも増して就職活動が難しい。
デザイナー・パタンナー職の就活
- 大概の会社は、デザイナー採用人数1名。
- 大手でも2か3名。しかし、300名くらい受けた中で2、3名。
- 年によっては、「今年は募集していません。」なんてこともある。
大学時代の就職活動は、ライバルの数が多くて大変ですが、
デザイナー・パタンナー職の就活は内定枠が少なすぎる。
ともあれ、6社メンズの企画職を受け、
何とか年明けに内定をGET!!!
ファッションデザイナーになるには?必要な知識・資質とは?【体験談】
という記事も書いています。
![コウイチ](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E73CE32-46F4-45F7-8C60-DE5E2A74F758_0520030537.png)
激動の会社員時代
(写真で表すと、こんな日々でした。)
企画職で内定貰ったのに、アパレル販売員3年!?
「企画職採用でも売り場からスタート。だいたい1年くらいは現場でブランドを学んで。」
この言葉から社会人生活が始まりました。
最初の配属先では、基幹ブランド・社内トップレベルの店舗だったので、
メチャメチャ予算が高い!!!
うゎ~個人予算高いわ~。
燃える!!!
そうです。体育会系出身で「お喋りクソ野郎」でした。私。
- 厳しすぎる上下関係
- 接客付く度、接客に対しての細かい指摘
- アイツは休日返上で売上作っているぞ!(謎の休日返上したらという提案)
- 「洋服のタタミ2mmズレているぞ!」(細かすぎる店内を綺麗にしろ指令)
- 「何で今のお客さんに20万売れなかったの?」
あまりにツッコミどころが多すぎたので、アパレル販売員の過酷さはコチラにまとめました。
「アパレル業界の闇~販売員編~」アパレル8年で辞めたデザイナーが語る。
販売員1年が過ぎた頃に本社に電話してみました。
「入社前に1年と伺ったのですが、どうなっていますか?」
すると営業の課長が
「お前年間何千万売ってると思っているんだ!代わりになる人がいない!もう少し頑張ってくれ!」
んん!?
これは怒られているんでしょうか?
褒められているんでしょうか?
意外と「お喋りクソ野郎で体育会」なので楽しんじゃいました。3年も。笑
2年目の販売コンクールで「全国2位の売上」を作れたことが誇りです。
![コロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E91E7DE-DF59-41D3-BE09-80BC499E0956_0520025859.png)
10年越しの夢、企画職に俺はなる!
1店舗の店長が「そろそろ本社上げないとアイツ辞めますよ?」と真っ当なこと言っていたらしく。
4年目にしてやっと、企画職です。(ありがとう店長。)
何もスキル無い状態からでも、10年諦めなければなれるんだ。と実感。
しかし、ここからまた1年目のような扱い。
そうです。本社では一番新米なのです。
そして、昭和の文化が根付いているこの会社!
誰も残業申請とかも教えてくれず(今思えば自分で聞けば良かったのですが。)
本社勤務、1か月目の給与は「手取り16万!!!」
![コウイチ](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E73CE32-46F4-45F7-8C60-DE5E2A74F758_0520030537.png)
もう4年目でアラサーなんだけど。笑
販売時代は残業代・予算達成のインセンティブで、かなりの出来高だったのです。
本社勤務になり、全部無くなりました。
さすがにもう辞めようと思いましたね。これは。笑
しかーし、ここで頑張るのがコウイチなのです。
翌月、専務にこう言われました。
「お前だけ我慢しなくても良いんだぞ?」
(残業申請を出して良いと言う意味)
仏の顔も3度までと言われますが、
3日連続で残業申請を出す書類に判子をお願いすると、
「なんだこれは?」
「残業申請です。」
「終わらないのか?」
「終わらないです。」
恐るべし。。。専務のコストカット精神。
結局、5年企画職を経て、一通り一人で仕事を出来るようになったところで脱サラしました。
▼その詳細はコチラにまとめてあります。
【給料安い・ツライ】アパレル業界になぜ8年もいたのか?【体験談】
【体験談】幸せなサラリーマン生活とは何か?【科学的根拠付き】
今日、会社辞めました。30歳過ぎて僕が脱サラしようと思った理由3選。
34歳の僕が脱サラ前にした3つのこと~辞める前にすべき6つのこと~
![コウイチ](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/1E73CE32-46F4-45F7-8C60-DE5E2A74F758_0520030537.png)
![怒りコロン](http://enjoy-blog-life.com/wp-content/uploads/2019/05/4BDC96FD-BDBE-47C6-A1FE-894496C50980_0520025828.png)
ブログ運営の目的
このブログを通して、共感できる人たちと“繋がる”
日々の生活に少しでもプラスになる情報を送りたいと思います。
ブログ運営理由
これまでの「自身の経験」が”誰かの役に立てば良い”と考えています。
具体的なカテゴリーとして、アパレル販売員・ファッションデザイナー・脱サラ・雑記(趣味系)